松原市阿保の地名の謂れ
阿保及び田井城の地は、元正天皇の霊亀元年(715)郷里制の採用によって丹北郡に属し、田座郷と称するようになっていたが、承和元年(834)平城天皇の皇子阿保親王が大和国からこの地に移られてから、田座郷の東部を「阿保」と呼ぶようになったといわれている。
阿保及び田井城の地は、元正天皇の霊亀元年(715)郷里制の採用によって丹北郡に属し、田座郷と称するようになっていたが、承和元年(834)平城天皇の皇子阿保親王が大和国からこの地に移られてから、田座郷の東部を「阿保」と呼ぶようになったといわれている。
松原阿保商店会の成り立ち
昭和の初期に狭くなった旧高野街道に隣接して馬車、荷車等が通れる道幅(後には近鉄バスの路線)に造られたのが新高野街道です。旧高野街道の途中、当時は賑わった阿保茶屋(旅人の休憩所)を基点として北側約800m阿保商店街が昭和40年頃に発足し当時はまばらな10数店舗の商店街だったが今では所狭しと立ち並んだ約70店舗として発展した由緒ある阿保商店街です。この高野街道を想い忍びながら近代化された阿保商店街を歩いてみると又違った思いが込み上げてくるでしょう。